やりたいことをやりたい気持ちが自分らしい人生に
2011年の第87回箱根駅伝は早大が18年ぶりに総合優勝した年でした。大迫さんは、当時1年生ながら1区(大手町~鶴見)に起用され、序盤から集団を一気に抜け出し、トップに立ちました。そのときのことは今でも鮮烈に覚えています。当時はどんな心境だったのですか。
あのときは最初から行く、誰が来ても自分のペースで走ると決めていました。実際、走ると調子も良く、最初のペースでそのままいくと監督とも打ち合わせをしていました。多くの観客やカメラに囲まれていましたが、意外と冷静でしたね。浮足立つこともなく、良いレースのときは特にそうなのですが、客観的に自分を見ていました。1区を任されたことも、普通のレースの状況に近く、かえってやりやすかったですね。
その後、大迫さんは実業団など経て、アメリカに渡り、現在はマラソンのプロランナーとして活躍されています。マラソンは過酷なスポーツですが、それに挑戦なさろうと決断されたのはいつごろですか。
自分の心の中では、ずっとマラソンをやってみたいという気持ちがありました。大学時代もどうすべきか悩んでいたのですが、アメリカで練習するうちに、マラソンを本格的にやってみたいと思うようになりました。マラソンは注目度や賞金などを含め、人気の高い競技の一つです。プロ選手として生きていくのであれば、もっと大きな舞台で挑戦してみたい。アメリカに渡ることで家族に負担をかけることは申し訳なく思いましたが、やはり自分の力を試してみたいという気持ちが一番大きかったのかもしれません。

私のLife 2.0は、31歳のときに生保業界に転職したことです。当時、子供が1歳と3歳でしたが、寝食を忘れるほど一生懸命働きました。周囲からは家族のために仕事を頑張っているのだろうと思われがちでしたが、もちろんそれもありましたけれど、生保業界での自分の人生を楽しみながら、自分のやりたいことを実現したい。その結果として、家族を幸せにすることが出来たら良いなという価値観を持っていました。
私も同じです。自分の才能を100%活かせるような環境でやりたいことをやってみたい。自分を磨き、トップレベルの選手と競っていきたい。アメリカに渡ったのも、そうした環境に身を置いて、つねに自分を高めたかったからなのです。